左翼政党 と ゲイ差別

日本の戦後政治史では、保守より、左翼政党のほうが同性愛に差別的だったことはご存知だろうか。ウィキペディア「日本におけるLGBTの権利」にも出典を添えて私が書いておいたので、詳しくはそれを参照されたい。因みにウィキペディア「日本における同性愛」の7~8割、「日本におけるLGBTの権利」の5~6割を書いたのは私です。

日本の旧社会党共産党は「同性愛はブルジョア的頽廃」として否定してきた歴史がある。それに対して保守はそれほど同性愛に差別的だったことはない。しかし残念なことに、稲田朋美など、一部のキリスト教系の保守政治家は同性婚に強く反対している。

彼ら同性愛や同性婚に反対する連中に理解して欲しいのは、そもそも日本の歴史・伝統は同性愛に寛容だったということだ。室町・江戸時代などの武将の間でも男色は盛んで、3代将軍・足利義満世阿弥が少年の頃寵愛し、6代将軍・足利義教|義教は赤松貞村という武士を深く愛し領地を加増した。

織田信長小姓森蘭丸を寵愛し、山口の大名大内義隆は多くの美少年をもった。豊臣秀次は美貌の不破万作を寵愛し、徳川の3代将軍徳川家光の男色耽溺で春日局が心配したことや、5代将軍徳川綱吉の男色も知られている。このように武家社会における衆道の実例にはこと欠かない。このことについて詳しくはウィキペディア「日本における同性愛」の歴史の節に書いておいたので読んで欲しい。

他にも、幕末の獅子・西郷隆盛月照と同性心中を企てたことはつとに有名だ。

戦後では、戦時中に政治結社をつくって挺身行動隊の副隊長をやるなど右翼運動に邁進し、戦後、会員制の同性愛雑誌『同好』を大阪で創刊した毛利晴一、戦後保守思想を代表する三島由紀夫らがおり、日本の同性愛本流は保守だった。

1970年代以降のマルクス主義と結びついた西洋輸入思想としてのゲイ解放運動|ゲイリベレーションは、むしろ日本の中では歴史は浅い。それどころか旧社会主義圏では前述のように同性愛者の弾圧が行われ、日本の政党も影響を免れ得なかった。こうしたことからも同性愛や同性婚を否定する理由に「日本の伝統の否定」を挙げるのは、実は日本の歴史と伝統に基づいていないということがわかる。