深澤真紀の 「草食男子」 論を批判する

およそ「美」の概念とはかけ離れていて、私のブログで触れるのも汚らわしいのだが、深澤真紀なるバブル世代のコラムニストが草食男子なる妄論を展開し始めた。2009年の流行語大賞にノミネートされたから記憶に新しい人も多かろう。

そもそも深澤は、自ら男性同士の肛門性交を扱った漫画や小説、いわゆるボーイズラブが好きな「腐女子」、「オタク」であると毎日新聞のインタビューで告白している、女性版の森永卓郎でもある。
その自らの腐女子的関心が高じた脳内妄想である草食男子論を、男性に対しセクハラ(性的嫌がらせ)紛いの著書『草食男子世代ー平成男子図鑑』において一方的に展開している。自らバブル世代に属するが、学生時代はミニコミ誌をやっていて「全然イケてなかったんですけどね」と日経ビジネス(2009年)での対談で話している。

:批判
「草食男子」は、男性を動物に例えるのは人権上問題があり、男性差別、セクハラであるとの批判が存在するが、本人は意に介していない様子。それは丁度、70,80年代に女性たちが上げたセクハラ・差別反対の声に対し、当時の男性たちが耳を貸さなかったり、90年代に一部の女子高生が「コギャルと呼ばないで」渾身の抗議をしたにもかかわらず、当時の男性たちが真剣に向き合わなかった構図と似ている。また、元々やおい好きで男性同士を自分の妄想でカップリングしたり、ホモSEXさせたりして愉しむ癖があるが、草食男子論も深澤の独断と偏見によって作り上げた架空の存在、妄想の産物に過ぎない。ただただ一方的に草食男子論を展開するのみで、彼女の著書には男性自身の視点や肉声が無視されている。
深澤は草食男子論を、新しい「男らしさ」と定義するが、その逆に男が女らしさにつて定義したらどうだろうか?そもそもフェミニズムが女自身によって担われる当事者性が最大限尊重されなければならない(上野)のと同じく、男性学やマスキュリズムも男自身によって担われなければならない。女性が口出しして、男らしさについて定義するのは越権行為であって慎まれなければならない。深澤の論理展開の唯我独尊性といい、男性学への口出しといい、二重、三重の意味で問題があるといえよう。
剰えバブル世代である為、何かと批判されるがちな同世代の強欲さを正当化するために使い出した言葉であるとの見方もできる。