比留間久夫 (ひるま ひさお) 顔画像 ゲイ小説「YES YES YES」著者

小説家・比留間久夫 (ひるま ひさお)。当時29~30歳。ゲイ小説『YES YES YES』で1989年度文芸賞受賞。1990年三島由紀夫賞候補。その究極の美貌が話題になった。
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比留間久夫氏は、元ロック少年でアマチュアロックバンドを組んでいたが、24歳で文学を志すようになり、2年かけて「YES・YES・YES」書き上げた(週刊文春のインタビューより)。小説の内容からして、実際に主人公「ジュン」が新宿2丁目で男娼をしていたのは1980年代の前半、1980〜84年頃じゃないかと思われる。比留間氏は1960年生まれで大学を2年で辞めている。丁度それは1980年頃のことだ。この前後の頃から2丁目でウリ専を始めたか、小説の少年ジュンの17歳という設定通りなら、1977〜78年頃ということになる。いずれにしろ1970年代の終わりから80年代の前半であった可能性が高い。

受賞当時の文春のインタビューで、主人公の少年ジュンと比留間氏が同一人物かどうかについては、「あくまで小説。口の悪い友達は主人公と僕は性格がそっくりだといいますが・・・。でも、想像だけで書けたら、僕は三島由紀夫以上の大作家でしょうね」と意味深に述べている。

小説内ではゲイではないときっぱり否定。「僕には男のあれを口に含んだり、男のあれを尻に入れられたりなんて経験や趣味はなかった。そしてそれは今もない」と・・・。けれど「芸術家には同性愛者が多いとか、そういうことにはかなり、昔から憧憬の念を抱いていた」とも言っている。

そして、「書きたかったのは、同性愛ではなく、自分の精神の遍歴。一番気をつけたのは、同性愛の人を誠意を持って書くことだった」という。

小説には、アナルSEXシーンがよく出てきて、主人公・ジュンがアナルを掘られながらトコロテン射精するシーンまでが描かれる。

「(アナルを掘られるのが)痛いことは痛かったが、僕は感じてしまっていたのだ。僕のナルシス(ペニス)は絶えず涙を流し続ける」「もう気持ちいいなんて感覚はとっくに通り越していた。痛いのすら分からなくなってきた。ただただ僕は泣き叫んでいた。大声で、赤ん坊のように、いつ果てるともなく」だって・・・。

正常位で、アナルを掘られながら、腹部でペニスを摩擦されることを「ダブル・オート・アタック」と名付けて、その快感やトコロテン射精する瞬間(とき)の快感も以下の様に具体的に語っている。

「それは繋がってしまうのだ。アナルに加えられる快感と、ペニスに加えられる快感が、一つになってしまうのだ。いや、一つになるというより、アナルの快感にペニスの快感が呑み込まれていくといった感じ、女の部分に男の部分が吸収されていってしまう感じなのだ。激しく腹を擦り付けられる度に、僕は段々と自分のペニスの形を知覚できなくなっていき、次第にそれがあるのかさえ分からなくなっていく。しまいには自分のペニスが、あたかもアナルの深淵に組み込まれたクリトリスのように感じられてくるのだ」。

「僕はまるで自分が本当に『女』であるかのような錯覚に導かれた。だってエデン(アナル)の『深淵』に、セレナーデを激しくかき鳴らされながら、本当に女のように、いくって感じになっていくんだから。射精する、いくって感覚ではなく、本当、突っ込まれながら沸き上ってくるような、いくって感覚
「僕は今までこんな経験をしたことはなかった。(中略)何ていうか、本当に、物理的に、自分が『女』になったような肉体的な快感に裏付けされたものだった。その限りなく高みに昇っていくような感覚、エデン(アナル)の中に姿を変え、転移された、ナルシス(ペニス)の上昇の感覚。僕は何か得も知れぬ神秘的な啓示に、歓びに、打たれながら、きっと女が味わうオルガスムスとはこういう感じなのかもしれないと、ゆったりと至福に昇りつめていくような快感の中でそれを感じていた。」

「それはほんと言葉なんかじゃとても言い表わせないほど、すごく、すごく、すごく、気持ちのいい錯乱だった。僕は完全に宙に浮遊するような状態で、まったく真っ白になった頭の中で、やめないでと願いながら、自分を客の男に向け、大きく開いていた。この上ない肉体の歓喜に、この上ない精神の空白に、溢れてくる幸福な絶叫をまるで口の中に押しとどめることもできずに。(きっと僕はすごい声を出していたんじゃないかな?本当に自分を『女』のように感じながら。」。


かなりリアルですが、こんな美貌の青年が、かなりの数の男性にアナルを捧げているって凄いですね・・・。


「YES YES YES」〜夜の街をさまよう少年たちの甘く、残酷な、愛の冒険〜河出書房新社

http://www.amazon.co.jp/Yes%E3%83%BByes%E3%83%BByes-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AF%94%E7%95%99%E9%96%93-%E4%B9%85%E5%A4%AB/dp/4309403409¥494


売り専バーを冒険する

売り専バーとは
2丁目や上野の色んな売り専バーを知っています。売り専バーとは、ゲイの男性相手に男性が身体を売るバーのことです。かつてはストレート(ゲイじゃない男性)のボーイしかほぼ雇わなかったので、「男相手は売るのが専門」という意味でそう言われました。ボーイの年齢層は、どの店も大体18歳〜24歳くらいまでの若い男性が中心です。

出張ホストとマッサージ
体育会・マッチョ専門の店は20代が多いですが、中には30代〜40歳くらいのホストが所属している店もあり、そういう店は大体「出張ホスト」です。バー形式の店は20代までの若いボーイさんがほとんどです。「ボーイズマッサージ」といって、マジックミラー越しにボーイを見て指名し、店が用意する個室でプレイする店もあります。「プレジデント」、「マリンボーイ」、「ジャニー少年隊」、「センチュリー」、「ハピネス」などが有名です(現在センチュリーを除き?いずれも閉店)。

ボーイとして、客として
客として行ったことも、ボーイとして働いていたこともあります。客としては、ここ15年近くは行ってません。というか、売り専に行かなければならないほど、相手に不自由していたわけじゃ決してありません。むしろ20代でモテまくっていた頃、たま〜にボーイを買ったりしてました。

発展場に行くのはなんか抵抗があったので、恋人がいない空白期間とか、本当のタイプの男の子とHしたいと思ったりしてボーイを指名してました。当時、僕と同世代の二十歳前後のコですね。でもルックスは凄くタイプという訳ではなくて、発展場に行けば、直ぐHできそうなコを指名しましたね。たまたま僕が店に行った時は、超タイプなコがいなかっただけですが…。

システム
売り専バーは、客が店に入ると、ボーイがカウンターの中に一列に並びます。それまでは店内をボーイが割りと自由にして寛いでいます。そして客が来るとカウンター内に並び、カウンターやBOX席に座った客の指名を待つわけです。客がカウンター席に座った場合は、ワンオーダー制の為、1杯軽く飲んで直ぐ指名してボーイと一緒に外出するか、指名したいボーイがいない時は、1杯分の料金を払って退店していきます。

BOX席に座る時は、店内でボーイたちを1人か複数人指名し、会話を楽しんだりしています。会話するだけで退店する客もいれば、ボーイを指名して一緒に出ていく客もいます。

コースは、2時間のショートと、泊りのロングなどがあります。

マッサージの場合は、料金は安めで、コースも60分位〜あります。ホテルを使わず、店内の個室でプレイするので、かなりお手軽という感じです。その代わり、本当にただヌクだけという感じで、いいムードは全くなしです。

↓売り専やマッサージ系の店舗の入った雑居ビル

比留間久夫さん 「YES・YES・YES」 探訪①/②

比留間久夫さん 「YES・YES・YES」 探訪 ①

比留間久夫さんの新宿2丁目を舞台にした小説「YES・YES・YES」の中を、少し探索してみようかと思います。実は僕も昔、2丁目のゲイバーで働いていたことがあるからです。以下に、小説から端折って抜粋してみます。

「(僕は)長い地下道を『街』に向かって歩いて行く・・・外界に出る・・・幹線道路を横切る…」

主人公の少年ジュンが2丁目の自分が働く店「アドレッセンス」に行くまでの経路について書かれています。「アドレッセンス」とは架空の店ですが、モデルのなった店、つまり比留間さんが実際に働いていたのは「僕の部屋」(画像③)だと言われています。因みに、「僕の部屋」は数年前に仲通りに面した場所から、少し奥まった場所に移転しています。

2丁目を知らない人のために解説すると、地下道とは新宿駅東口の地下道ですね。正確には西口から続いているのですが、アルタ前の地下辺りから2丁目までは600〜700メートルほどの地下道が伸びています。90年代初頭頃に2丁目の入り口にビックスビル(画像②)ができて、そこが地下道の終点になりましたが、この頃はまだなかったと思われます。

だから「外界に出た」というのは都営新宿線の新宿3丁目駅のC5出口、明治通りを渡る前の地上に上がる階段の所だと思われます(画像①)。そして「幹線道路」というのはその明治通りのことです。そこを渡ると、もう2丁目です。2丁目に足を踏み入れると、最初はここがゲイタウンなのか?という感じでしょう。ビジネスホテルやオフィス、料理屋などがある、一見普通の街です。

ただ少しずつ歩を進めると、ジャーニー少年隊とか、バナナボーイとか、それらしき名前の店がちらほら目に入ります。メインストリートはもう少し先の仲通りです。そこにはゲイショップやゲイバーなど立ち並んでおり、夜に行けばゲイタウンだと分かるでしょう。でも昼は仲通りでもゲイタウンなのかは分かりにくいと思います。今はグーグルのストリートビューがあるので、まだ2丁目に行ったことがないティーンのゲイの方は是非見てみてください。

その街での甘く、残酷な、愛の冒険が綴られたのが「YES・YES・YES」です。

でも僕が2丁目にデビューしたのは1980年代の後半ですが、その頃は、ネットも普及しておらず、ゲイ雑誌に載ってた2丁目の地図の切り抜きを片手に、2丁目を探すのにかな〜り迷ったものでした。最初、歌舞伎町の方を探したりして…。1,2時間探しあぐねて、ようやく2丁目に着きました。ルミエールでゲイ雑誌を軽く立ち読みし、ゲイビデオを勇気を出して買いましたね。店員を前にしてゲイビを出すのが恥ずかしかったですね(ウブだったな〜)。当時確か、「クリエーターズ」、「ストーム」という人気ゲイビデオ・ブランドがありました。その帰り、20代後半〜30歳位の男性に声をかけられ、もう夕方でしたが、2丁目のゲイバーに初めて入りました。緊張して殆ど話せなかったな。まだ10代でしたから。

それよりずっと前に、比留間さんはゲイの世界に足を踏み入れていたんだな〜。

画像①↓新宿駅から続く地下道から地上の明治通りに出た所。大通りの向こうが2丁目です。

画像② ↓2丁目への地下からの入り口「BYGSビル」。新宿駅から地下道でつながっています。

画像③↓仲通り「僕の部屋」のあった場所

↑新宿2丁目のメインストリート・仲通りに面した正面の白いビル(ネットルームと書かれている)があります。数年前このビルに建て替わりましたが、旧ビルの2階に売り専バー「僕の部屋」がありました。ここで比留間さんがボーイをしていたと噂になりました。僕も二十歳の頃「僕の部屋」には何度か客として行きました。今は「僕の部屋」は画像右端の路地を少し入った場所に移転しています。


比留間久夫さん 「YES・YES・YES」 探訪 ②
比留間久夫「YES・YES・YES」の中を、2回目の探訪をします。小説から一文を引用し、そこがどの辺りかなってことを想像したいと思います。ただ以下に書くことは全くの推測、想像の産物だとご了承ください。小説から一文を引用します。


「僕たちは(店からの)帰り道を(他のボーイと)一緒に駅まで歩いた。朝の5時40分。街はゴミだらけだ。辺りはまだ暗い。僕の住んでいる部屋はここから5分ほどの歩いた所にある。途中で24時間ストアに寄り、パンとミルクと雑誌を買った。2万円。今、僕にあるのはこの2万円だけだろう。他にはきっと何もない」。(少し不正確です)

ゴミだらけの街は、新宿3丁目や歌舞伎町です。駅がJRか西武新宿駅かは分かりませんが、JRだとすると3丁目、西武新宿だとすると靖国通りを渡り、歌舞伎町の辺りを歩いていることになります。

駅から5分ほどの所とは北新宿の辺りかも知れません。24時間ストアとは丸正かなって思ったけど、北新宿店は24時間営業ではありません。日本初の24時間営業スーパーは丸正新宿2丁目店(現丸栄新宿2丁目店)なので違うかなと思いますが、北新宿店も24時間営業していたことがあるのかも知れませんが、分かりません。

まあ、スーパーではなくコンビニかも知れませんね。1980年代前半頃はコンビニがもの凄い勢いで増えてました。まだ営業時間は夜11時頃までというのが多かったですが。そこで買い物して、家路についたのでしょうか……。少年同士の会話や切ない心境などがとてもリアルで、僕にもこういう経験があったなと、少し懐かしく、心が痛くなるくらいです。

明け方の新宿の街は幾度も歩いています。バイト先のゲイバーやホテルからの帰り、遊び疲れて頭がボーっとして、極度の疲労や眠気と格闘しながら重い気分で下ばかり向いて駅まで歩いていきます。今は副都心線ができたけれど、当時はJRの駅までいくか、タクシーで帰るしかありませんでした。

新宿は2丁目があることもあり、僕にとっても、多くのゲイにとっても、最も馴染みが深く、個人的には一番好きな街です。そこを舞台にした小説や映画は、『眠らない街 新宿鮫』(1993年)もふくめて、とても親しみを覚えてこれも大好きです。因みに、新宿鮫奥田瑛二さんがゲイ役で登場し、ゲイのハッテン場(出会いの場)として有名な「大番」が出てきます。

これからもっと、ゲイ作品の中を探索して行きたいと思います。

オカマは差別か 考

10年ほど前、オカマは差別かを巡り、論争になったのは記憶に新しいところです。論争の詳細は、「オカマは差別か」(ポット出版)にまとめられています。

私個人の考えをいえば、オカマという言葉そのものより、その使われ方に問題があるのではと考えています。

メディアに出てくる、いわゆるオネエ・タレントの少なからずは、「どうせ私たち汚いオカマだから」と自虐的に?いっています。自分で自分を笑えるようになれば、生きるのが楽になることは知っています。傷つくことを、他人から言われる前に、自分で言ってしまうという処世術です。例えば、太った女性が太っていることを他人から指摘されるより、「あたし、ちゃんこ屋開こうかしら」といってしまえば、意外と気が楽になります。そういうことは、多くの人が経験を伴ったアジェロ(=世間智)として知っていることで、一概に否定しません。

けれど「どうせオカマなんて」という言い方には、危うさも潜んでいます。ゲイの人が自分でいっているのだから、オカマ、オカマと茶化したり、からかってもいいのだ、という誤ったメッセージを世の中に送ってしまい兼ねないからです。

美輪明宏さんは、2007年12月放送の「金スマ」(TSB系)で、そのことの危険性を指摘しています。

アメリカではティーンのゲイの自殺率は、30%を超えるそうです。主な理由は以下の2つが考えられます。

①・・・同性愛を罪とするキリスト教が社会のベースにあるため、ゲイであることを自覚し始めたと同時に贖罪意識を持たされる。
②・・・マッチョの文化が基底にあり、女性的だとか、周囲と違うという理由で迫害やいじめに遭う。

このようなことが原因ではないかと言われています。個人的にはキリスト教より、後者の原因のほうが大きいと見ています。

日本でも、例えば、はるな愛さんや楽しんごさんは、中学時代に凄惨ないじめに遭ったことを告白しています。女性的だとかそういう理由もあったのかも知れません。妃羽理さんという女装系忍者の方は、他の客が驚いて転倒したことがきっかけでスポーツクラブの入店を断られたそうです。ミッツ・マングローブさんも、新宿御苑への入庭を断られたといいます。

日本には同性愛者の自殺率に関する政府の統計は存在しません。トランスセクシャル性同一性障害)に関しては、要件を満たせば、戸籍変更が認められるなど、認知される方向に少しずつ変わって来ましたが、同性愛者は存在しないことになっているから、統計がないのは当然です。

学校で女性的だという理由でいじめに遭うなど、不当な扱いを受けているゲイは少なくはないでしょう。同性愛者の自殺率は、恐らくはアメリカより高いかも知れません。同性愛者の生活実態に関する調査は、早急に行われるべきだと考えます。

そういう状況で、「所詮、オカマだから」という物言いは、度が過ぎると性的少数者を迫害する口実に利用されかねません。テレビでは言わず、せめてゲイバーの中だけに留めて欲しいものです。

ゲイ映画 『 安非他命/アンフェタミン 』考(パクリ?)…日本に優れたゲイ映画が少ない理由

香港のゲイ映画『安非他命』(監督:雲翔、2010年制作)は、適度にエロティック、そして芸術性が高い優れたゲイ映画だ。ベルリン国際映画祭で絶賛され、日本でも2010年の「第5回関西クィア映画祭」で公開されている。主人公で恋人同士でもある2人のゲイが描かれ、哀しくも、ほろ苦くもあり、胸にチクチクとくるものがある。

日本のゲイ映画には、ここまでクウォリティが高いものは、そう多くない(勿論、香港でも決して決して多くないが……)。日本でこれに匹敵するのは、今泉浩一監督の『憚り天使』(Angel in the Toilet,1999年)、『NAUGHTY BOYS』、ベルリン国際映画祭にも招待された『初戀 Hatsu-Koi』などの一連の作品と、
橋口亮輔監督の『二十才の微熱』(1993年)、『渚のシンドバッド』(直ぐ下の画像)くらいではなかろうか。映画ではないが、日本テレビ系『同窓会』もかなりの完成度のゲイドラマだ。因みに、渚のシンドバッドは、ロッテルダム国際映画祭でグランプリを受賞している。ただこれらの作品は、女性との関係性を描いたものが多く、ゲイそのものを描いたと言うものは少ない。 ↙(左下向き矢印)に続く




日本にゲイ映画が少ないのはAVのせい?

↘日本に本格的なゲイ映画が少ない理由は、ゲイ・ポルノの自由があるからだと見ている。1982年から東梅田日活(ENK)系作品のような、ストーリー性のあるゲイ・ロマンポルノが登場し、同時にその頃からゲイAVが作られた。そちらにゲイの関心や創作のエネルギーが向かい、芸術性が高い本格的ゲイ映画は中々作られないのではなかろうか。

アジア圏では、タイやフィリピンを除き、まだまだポルノが禁止されている国が少なくない。ゲイ・ポルノとなれば尚更タブー視が強いのだ。ゆえに性表現を抑制した、素晴らしいゲイ映画に創作のエネルギーが向かうのかも知れない。

『安非他命』は、『憚り天使』のパクリ?

ただ『 安非他命/アンフェタミン 』は、今泉監督の『憚り天使』と似たシーンがある。天使の羽根をつけた裸の男性が登場するシーンなどがそうだが、これって「パクリ?」と思えてしまう。(↓に画像比較あり)。

もう一つ、台湾出身のアン・リー監督のゲイ映画『ブロークバック・マウンテン』に出て来る、崖から川に飛び込むシーンも某有名米国映画のシーンと酷似している。これもパクリだろと思わず思ってしまった。

因みに、日本には、比留間久夫の『YES・YES・YES』というゲイ小説がある。この作品が映画化されたらとても素晴らしい、世界的レベルのゲイ映画になると思うのだが……。この作品が映画やドラマにもならず、埋もれたままなのは残念でならない。


↓『安非他命』(香港、監督:雲翔、2010年制作)

『憚り天使』(日本、監督:今泉浩一、1999年制作)

テレビドラマの男性差別 考

きみはペット」、「花より男子」、「イケメンパラダイス」……。この種の少女漫画が原作の男性を商品化した男性差別的なドラマの氾濫は、大いに問題があると思います。

「きみはぺっと」と男性をペットに喩えるって、何ごと?2000年に新潟県で、少女が9年以上監禁された、新潟少女監禁事件が発覚しています。人間をペットや食べ物に喩えるのは、この種の犯罪を誘発しかねません。

女性の表現者たちにも、今は男性の人権への配慮が求められる時代だと思います。