上野千鶴子 −過激な差別主義者−

上野千鶴子を批判する。


上野千鶴子は、「おまんこ」発言などシモ系発言で、80年代にメディアに面白可笑しく取り上げられたマルクス主義フェミニスト

京都精華大学助教授などを経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授。自閉症児童や性的マイノリティなどへの過激な差別発言が、しばしば問題を引き起こすことでも知られる。

概略
主著に『家父長制と資本制』などがあるフェミニスト。男性は家事・育児に参加すべきだ、と主張するが、本人は生涯独り者であり、子育てや家庭と仕事の両立をした経験はない。また、左翼であるが、同性愛者や障害者など女性を除いたマイノリティーへの共感は皆無であり、差別的ですらある。「私は、同性愛者を差別する」と言い放ち、この発言は同性愛者らから大きな批判を招来するに至った。

問題発言・差別発言

同性愛者への差別発言
『スカートの下の劇場』において「私は同性愛者を差別する」と書き同性愛者らから激しい批判を招き、東京大学五月祭で上野発言を巡ってシンポジウム『ゲイ・スタディーズ・ミーツ・フェミニズム』が「動くゲイとレズビアンの会」(アカー)主催で開かれる事態にまでなった。また、「レズビアン異性愛の副産物にすぎない」「異性愛が存在する間しか続かないカウンター・イデオロギーだ」と発言し、これはレズビアンの掛札悠子から「レズビアン女性が聞いたら怒るだろう。だが私は怒るどころではない。あまりの考えの浅さにあぜんとする」として批判を受けている。これに対して上野は、「私は同性愛差別者だった」と告白した上で、「浅田彰は、『現代思想』(1997年5月臨時増刊号)の中で、私のホモセクシュアルホモソーシャルを混同した無知を揶揄しているが・・・」と発言し、同性愛をホモソーシャルと誤理解した己の無知蒙昧を認め、『発情装置』(1998)の中で自分の同性愛者に関する認識が経年変化していったと懺悔録を書いている。

疑似科学、性的絶対自由へのとらわれ

同性愛者になるか異性愛者になるかは、自らの意志で選択し得るものだ、という非科学的な性的絶対自由の概念や、性差を消滅させるジェンダーフリーを頑なに信奉している。自ら選択して同性愛者になるのではないと主張している同性愛者(掛札悠子・伏見憲明ら)や性科学者(セクソロジスト)らの批判に対しても、「選択的にレズビアンになったと主張する人々がいる」(発情装置)と、甚だ疑わしい根拠を持ち出して譲らない。縦令、異性への不信で同性愛者になった、選択して同性愛者になったと発言した同性愛者がいたとしても、「照れ隠し」で言っているだけであり、性的指向は生得的で非選択的なものである。この種の上野の論理は、後述の「自閉症」に対する非科学的な認識とも通呈しており、上野千鶴子という人物が内包する病理でもある。

女性への問題発言

一人の男を二人の女が共有する関係を「おまんこ・シスターズ」と書いて顰蹙を買う。

赤ん坊の初めの頃のおむつの交換で、うんちやオシッコに戸惑う若い母親を「プッツン・ママ」と呼んで嘲笑った。その上野自身は、赤ん坊を産んだこともなければ、赤ん坊のおむつの交換をした経験もない。

「女性学は、暇な主婦の社交場」と発言し、自らフェミニズム講座を開催し先導しておきながら、あたかも暇を持て余した主婦の道楽であるかのように述べている。上野は戦闘的フェミニストであるが、それと同時にフェミニズムに対するニヒリズムもまた深い。評論家の小浜逸郎は『まれに見るバカ女との闘い』(別冊宝島)の中で、上野を「面の皮の厚いデマゴーグ」と評して厳しく批判している。

自閉症不登校児童への差別発言

『マザコン少年の末路――女と男の未来』(1986) では、 自閉症や、登校拒否(不登校)は母親の甘やかしや過保護が原因で、自立心を失った問題児であると書いた。しかし、国際連合世界保健機関(WHO)の疾病分類(ICD-10)や米国精神医学会の精神疾患診断マニュアル(DSM)などでは、自閉症は先天的早期脳障害に分類され、環境が原因ではないというのが既に定説であり、上野は「自閉症児を持つ親の会」などから激しい抗議を受けた。この批判を受け、上野は批判を発した親らに面会して「皆さんの仰ることは、充分に理解できます」とは言ったものの、謝罪の言葉は述べていない。また、自閉症は障害であり、母親の育て方に問題があるのではない、ことは未だ認めていない。

上述の性的絶対自由なるトンデモ概念を含め、この種の一連の非科学的な上野の発言は、疑似科学やオカルト、トンデモ本を“笑う”ことで知られる『と学会』に取り上げられることがある。

NHK番組改編問題のシンポジウムへの参加拒否

「売られた喧嘩は買う」がモットーといわれるが、保守系団体からNHK教育テレビ従軍慰安婦を取り上げた番組改変問題を巡る公開討論会へ招待されたにもかかわらず、参加を拒んでいる。敵前逃亡とも取れる不参加の理由を、未だ明らかにしていない。

学歴差別発言

彼女がかって在籍していた京都精華大学などを「四流大学」「非銘柄大学」と誹謗(『さよなら学校化社会』)。

人格侮蔑・名誉毀損

『性愛論』の中では、評論家の大塚英二氏を「既婚オタク」と誹謗。

同著の中で、若い男性を「スベツルボーイ」と嘲笑・攻撃。

ある男性文豪を「マスターベーションをかきすぎて死んだ猿」(『男流文学論』)と罵倒。

働く世の男性たちを「産業廃棄物」と攻撃。

朝日新聞の発行するアエラ誌で「男のおひとりさまはお先真っ暗」と嘲笑。

この他、「ことさらに下半身ネタや女性器の名称を書く」、「頭の悪い広告代理店みたいな造語を次々と生み出す」などの批判がある。そうした批判の主なものは斎藤美奈子『文壇アイドル論』(2002)にまとめられている。

ウィキペディアの「上野千鶴子」の問題点

ウィキペディア上野千鶴子の記事は、上野の崇拝者とみられる一人のユーザーが、彼女の過去の同性愛者や障害者への差別発言などをことごとく捨象している。

アグネス論争は、保守系男性週刊誌が「女vs女」の戦いを演出して作り上げたものであるが、ウィキペディアでは、「上野が途中から論争に加わったことで、アグネス批判派に傾いていた流れが、一気に擁護派に逆流した」などと事実と異なる大言壮語な記述になっている。しかし、アグネス論争とは、男性週刊誌が仕掛けたものに過ぎず、上野は大勢の論者の一人であっただけで、主戦論者ではなかった。上野の手で行われたものでもなければ、上野が参加したことによる論争の変化も起きていない。

経歴

1948年、富山県の片田舎で生れる。

石川県立ニ水高校卒。

京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程修了。

自ら四流大学と蔑む京都精華大学助教授などを経て、1993年より現職。