ゲイ雑誌のパイオニア 「アドニス」

ウィキペディアの「ゲイ雑誌」にも書いたことですが(自慢じゃありませんが、同記事の8割方は私が書きました<笑>)、ゲイ雑誌について書いてみたいと思います。

1947年創刊のSM雑誌「奇譚クラブ」を始め、「人間探求」(1950年創刊)、「風俗草紙」(1953年7月創刊)、「風俗科学」(1953年8月創刊)、「風俗奇譚」(1960年頃創刊)といったポルノ雑誌にも男女もの作品に混ざって、男性同性愛作品が時々載っていました。「奇譚クラブ」には、1947年12月号に既に「男娼」や「男妾」に関する作品が載っています。これらがその後のゲイ雑誌に影響を与えたと言われています。(→へ続く)


両サイドがSM雑誌「風俗奇譚」と「奇譚クラブ」のゲイを扱った号、中央がアドニスの別冊で会員の手記集「MRMOIRE(メモワール)」

↓1961年〜66年の風俗奇譚でゲイが表紙を飾った号(画像クリックで拡大)


(こちらへ →)とはいえ、上述の雑誌はあくまで男女作品がメインです。日本でゲイ雑誌のプロトタイプになったのは、1952年創刊の同人誌「アドニス」だと言われています。アドニスは、三島由紀夫らが所属した「アドニス会」という会員制ゲイサークルが刊行していたもので、「人間探求」の編集に携わっていた人が初代編集長を務めています。

↓1960年発行のアドニスNo.52号(画像クリックで拡大)
 


上の画像をご覧の通り、アドニスはモノクロでシンプルなものでした。円谷(えんたに)という人が男性ヌード写真を撮っていました。かの小説家・中井英夫と恋人でもあった中野良夫が2代目編集長で、三島も別名で作品を寄稿していました。長い間、三島作品ではないかと論争があった「愛の処刑」も三島の自宅から原稿が見つかったことで決着を見ました。

アドニス刊行から7年後の1959年、大阪で「同好」というアドニスに似た会員制ゲイ同人誌が出ています。その後、「風俗奇譚」を出したのと同じ小倉一という人が「薔薇」という会員制月刊同人誌を出してます。

こうした先駆的なミニコミ誌やポルノ雑誌が、後の商業ベースのゲイ雑誌のプロトタイプになりました。そしていよいよ1971年7月に日本初の商業ベースのゲイ雑誌「薔薇族」が第二書房から創刊されます。そして「アドン」、「さぶ」、「MLMW」(My Life May Way)、「The Gay」、「サムスン」などが後に続きました。

薔薇族1971年創刊9月号(画像クリックで拡大)

アドン1975年7月2号〜75年12月号(画像クリックで拡大)

↓さぶ1975年創刊号〜1977年12月(画像クリックで拡大)

↓MLMW・ムルム1977年7月創刊号〜78年11月号(画像クリックで拡大)

↓The Ken各号とThe Gay(画像クリックで拡大)

薔薇族、SAMSON、さぶ、The Gay、MLMW、アドン(画像クリックで拡大)


↓ MLMWと薔薇族の創刊号(画像クリックで拡大)


インターネットがすっかり普及した90年代後半頃から、
ゲイ雑誌は冬の時代に入ります。ゲイにとって貴重な出会いの場を提供した
ゲイ雑誌の文通欄は最盛期には、薔薇族だけで1000通を超える投稿が
ありました。それが段々紙幅が薄くなり、ネットに押されていきました。


出会いは携帯やパソコンの出会いサイトを使えばいいわけだし、
ゲイ・ポルノはWEB上の無料画像を見られます。
10代だった1980年代はゲイの情報源といえばゲイ雑誌だけでしたから
ゲイ雑誌の苦境は寂しい限りです。これからはタブレットでの配信などが注目されていくでしょう。